就活からコスメに思考が派生する人

就活について考えていても、ついついコスメに思考が派生してしまう。

就活に対する自分の考えをまとめるためにも、頭で考えるだけでなく、文字に起こそうと思った。(コスメの話は一切ありません。)

 

これまで就活をしてみて思ったのは、

就活っていうより、これまでの人生を振り返って総括して導き出された結論は

わたしは自分を語ることが非常に苦手だということ。

 

大学院まで行ったのに、なぜうちの企業に?

どんなつながりがあって?

これは就活で面接官の方に度々問われたことである。

 

でもこの手の質問は、はじめてではない。

なぜあなたは、・・・をしたの?

行動の動機は?

動機−行動の因果関係。人生の必然性。自分の人生を物語ることを要求されたことって、これまでにも何度もあった。

 

その因果関係を物語るとき、べつに本当のことなんて言わなくていい。

だって自分でさえ、なぜ自分がそのような行動をとったのか、その動機はわからないから。人間の行動はたくさんの因子に導かれているから。

 

だから、どう語れば自分も相手も私の人生に対して納得することができるか、が大切なんだろうと思う。

 

それなのに、私は物事を断定的に語ることができない。

その場しのぎの納得感に何の意味があるんだという考えがよぎって、まともに話せない。うさんくさいと思ってしまうのだ。

語った自分のうさんくささ、語られた言葉の不条理さに、耐えられなくなってしまう。

 

そもそもこれまでの人生と結び付けないと、仕事や会社に対する真心が測れないなんておかしいじゃないか。そんな子供じみた愚痴を心の中で言っている。

 

あるとき断定的に語れるようになることは、強さだと人に言われた。

その人は私に何度も何度も強くなれ、変われ、と言った。

私が悩んでいるのは、都合のいい鬱のようなものだとも言った。

 

「人生の物語」が真実かどうかに固執している私は

自分のことしか見えてない弱い人間だと指摘されたわけだ。

たしかに、その指摘は真っ当だ。

私は相手が納得できるかよりも、自分が納得できるかを優先しているからだ。

 

納得できるものだったからこそ、

余計に私は私を認めることができなくなり、苦しくて毎日涙が出た。

 

まわりの人を見ていても思うけど

人はある悩みに直面したとき、変わらなきゃって思う

だけど、変わらなきゃって思うのになかなか変われないこのとき、

最初の悩みよりももっと重くて苦しい悩みを体験するんじゃないかって思う。

 

変わることだけが正解なのかと考えることがある

変われない今の自分にも大切にすべき何かがあるんじゃないのか?

 

私は不条理さに目を瞑ることのできない、社会不適合者だと思う。

だけど、不条理に耐えられなくなることは誰にでもあることだと思うのだ。

なぜなら、人の数だけ道理があるからだ。 だけど、世の中は単一の原理で動こうとする。 そうじゃないと、私たちは社会的な存在になれない。

多様性を認めすぎていたら、政治はできない。

不平等と差別がなければ資本主義経済は成立しない。

 

そんな世界に、誰かがうさんくささを感じたとき、私は寄り添える。

繊細すぎるからこそ、不条理に悩む心に寄り添える。 

個人にとっての不条理は、必ずしも社会が悪いということではない。 だから、社会は敵ではない。 辛くなったらお休みして、また戻る場所だ。

 

私は休息に寄り添える。休息は1人でもできるかもしれないし、寄り添えるなんて傲慢な言い方なのだが。 ただ、非難したり無視したりはしない。スキルでもないかもしれないが、私の欠点は、ある人にとっては希望になれるんじゃないかと思った。

彼氏がこの前、私のことをまともな人間だと言ってくれた。

はじめはいまいちピンとこなかったけど

今日考えたようなことを言ってくれたのかなと思い至って、私のことをちゃんと知ってくれる人が側にいることを、心底ありがたく思った。