色鉛筆

 

小さい頃、薬箱くらいの大きさの色鉛筆が入れがあって、それを使ってお絵描きするのが好きだった。

家の敷地内に父の事務所があったので、そこで不要になった裏紙を大量にもらってお絵描きをする。たまにお絵描きした紙をかばんのように成形して、両親にプレゼントしていた。

 

それがわたしにとって当たり前の日常だったんだけど、あれだけの色鉛筆がある家って、そうそうないのではないだろうか。

大学になって無印の36色の色鉛筆を買ったが、36色あっても小さい筒に収まっているから、うちにあった色鉛筆は100近かったんじゃないかと推察される。

 

それだけ、いろんな色に出会うことができたんだと思う。よく思い返せば、わたしは色に対してかなりこだわっていた。紫でも青が強い紫は嫌いで、赤紫が大好きなんだということを保育園の帰りの車のなかで母親に熱弁していた。

水は水色じゃないのに、なぜ水色は水色と呼ぶのか。わたしが今日保育園ではいったプールは水色じゃなかった。ホースから出てくる水もどちらかといえばネズミ色、銀色に近く見えるんだよなぁと、疑問に思っていた記憶もある(曇天だったのだろう、のちに青色はものに固有なものではなくて、現象として現れる色なのだと知った)。

 

父親は子育ては母親に一任という感じで、仕事から帰ってきていつもテレビばかり見ている人、という印象だったが

あれだけの色鉛筆をそろえてくれて、わたしがしつこく職場に裏紙をもらいに行っても嫌がらないでくれて、案外いいお父さんだったのかもしれない、と思った。