海の見える街が好き

 

久しぶりのブログ。

突発的に頭に浮かんだ断片的な言葉たちはTwitterに書き溜めるようにしていたし、

回収された断片は論文にちりばめられていったので、

あまりここには用事がなかった。

 

Twitterではできない、ブログだからこそできることってなんだろう。

 

 

Twitterって、なんか選挙のポスターを見ているときと同じ気分になることがある。

ポスターって結論しか伝えない。

消費税ゼロにしますと掲げているポスターに、わたしたちは正直何も読み取ることができない。

ポスターに書いてあるのは、ただの言葉であって、そこに中身があるかはポスターを見ただけではわからない。

要するに、あの言葉は、わたしたちを引き寄せる道具でしかない。

 

Twitterもなんか似ているような気がしていて、一つの言葉が発せられる背景も含めて、140字の箱に打ち込むことはできない。

結果、過程を無視した無責任な結論だけが、ごろごろころがっている。

ちゃんと思考された言葉でも、そういうかたちで表現されたとたん、思考したプロセスは無意味になる。

どこの馬の骨とも知れぬ人たちのポスターが乱立している。わたしの言葉もそのうちの一つである。

そんなイメージが頭に浮かんできて、なんだかがっくし。

 

やっぱりTwitterはヲタ活に特化させようかなぁ…