感情に寄り添ってばかりいると、次第に支配される

 

 

最近の私は、自分の感情に寄り添ってばかりいました。

 

感情に寄り添うと、次第に寄りかかられて、支配されます。

 

自分①が自分②に支配されるのです。

 

このことは、大昔ピアノを習っていたときに、すでに学んでいたはずでした。

 

私はよくコンサートやコンクールに出場していました。

なので、ステージの上という独特な空間のことをよく知っています。

 

あそこはすごいんです。何分、何十分とスポットライトに照らされながら、静観されるんです。

 

冷静になってしまうと負けです。

冷静に考えれば、めちゃくちゃ孤独だからです。

 

演奏をはじめてしまったら、鍵盤に手を構えて1音でも奏でてしまったら、

その瞬間から、「孤独だな」とか「緊張するな」とか余計なことを考えるのは許されません。

 

そんなこと考えていると、必ず脳内の楽譜を見失ってミスするからです。

それに、たとえミスしたとしても、最後まで弾き続けるのがマナーです。

 

だから、できない自分を認めたらルール違反なのです。

 

 

 

自分の感情に少しでも寄り添おうとしたなら、その途端、演奏は崩壊する。

 

ピアノを前にするときは、ただ演奏のことだけ考える。全神経を捧げる。

私は私のことを考えてはいけない。

 

なんなら自分以外の人を想うことも、演奏においては「邪な考え」になる。

 

演奏に向き合い続けているうち、いつの間にか、家族までおざなりにしていたんですよね。

 

演奏至上主義でいる自分と、人の心に寄り添う自分を切り替えることができなかったんでしょうね。

 

うまく使い分けができたら、よかったんだけど、私0か100かという極端なところがあって、

次第に難しさを感じて、ピアノと向き合えなくなりました。

 

 

あのときの強さをもう一度取り戻したいなーと最近思う。

 

寄り添える人間になったんだったら、強さも取り戻したら、最強になれるかもしれない。

 

これも結局ナルシシズムかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

男性性×女性性(ひとり情熱大陸 feat.しいたけ.)

 

 

すっかり春めいてきましたね。

最近3年半付き合った彼氏と別れました。思わぬところで季節の訪れを感じましたよね。思わぬと言っても、別れるきっかけをつくったのは私なのですけれどね。

 

彼と付き合っている自分のことが好きになれなくて、別れてよかったと思っている。けど、たまに涙も出てくる。もう少ししたら前を向けそうな気がしている。今はそれくらいの段階。

 

彼から、人とのコミュニケーションの取りかたや、思考のしかたが好きになれないと言い渡されてしまったので、けっこう打撃を受けております。

そんなん、5億光年前からわかっとったやろ、と心の中でつっこまざるを得ない。3年半の月日(5億光年の設定はどこいった)はなんだったんやと、ちょっと腹を立ててさえいます。

 

腹を立てたり、悲しくなったり、どうでもよくなったり、感情の巡るスピードがすごいです。

なので今から書く文章も、「悲しんでるのか反省してるのかどっちかにしなさい」というツッコミを入れたくなるものになるかもしれない。

 

しかし、過去をふりかえり言語化をすることは、心のケアになるそうです。

醜い言葉だったとしても、核心をつかない言葉だったとしても、とにかく語ろうとすることが大事なのです。

 

言語には定義があります。感情のごちゃつきを、定義によってすっきりさせるのです。ときめくか/ときめかないかという単純な分類法によって、捨てられなかったものを捨てられるようになる。言語化とは、片付けの魔法なのです。

 

 

というわけで、今日は愚痴なのか反省なのかよくわからない文章を書きます。

しいたけ.という占い師の方が、山羊座はひとり情熱大陸をしてくださいって言っていたのも、動機としてある。

 

まだ私は相手に言いたい言葉として書いてしまうと思う。聞く理由がないと言われてしまって、感情の行き場がなくなっているんです。

 

彼氏ではないから、たしかに理由、ないんですけどね。

それにたとえ彼氏であろうと、彼女の気持ちを受けとめなきゃいけない理由もない。

 

彼は彼氏でいてくれたときから、「理由がない」「勝手にしてくれ」と言うのが口癖でした。

たしかに、私の感情は、私の勝手な心のメカニズムで生じます。私の感情に寄り添わなければならない理由はない。

 

バスが終点に着いて、車内に爆睡している人がいて、でも自分とその人は無関係だから起こしてあげる理由はないと言って、自分だけさっさと下車したところで、誰もその無関心を責めることはない。

 

そうやって理由なく人に関心を持つことは、人をダメにするって考えもあるかもしれない。

彼は私に自立を求めたんだと思います。他人に寄り添われると、楽だから、人間はいつしかそれに甘んじるようになる。寄り添っていたはずが、寄りかかられていたという事態になる。

それが怖かったのだと思う。私は彼をビビらせていたのでしょう。

 

 

それに、もしかしたら私の主張がめちゃくちゃだったのかもしれません。

私はけっこう感情的です。感情を割り算して、整数にして、理屈にして話すことができません。だから自分の感じていることの核心を言語化できないという悲劇が起こる。

 

だからこそ、言葉ではなく私の感情表現に目を向けてほしいと思った。せめて不愉快であることくらいは受け止めてよと思ったけれど、そうするべき絶対的な理由はない。話がまたここに立ち返ってしまった。

 

でもパートナーが感情を受け入れてくれないことは、別に珍しくないんでしょうね。

よく聞くもの。嫁がヒスを起こすだの、目の前で白目むいているのに、旦那が育児を手伝ってくれない。外で働いてるんだからいいだろうと正当化するだのと。

 

 

感情的じゃない女性もいるし、理屈ばかりを求めない男性もいるので、今かりに女性性/男性性で分けることにするけど、女性性×女性性と男性性×男性性のパートナーってあんまり見ない気がする。

 

人に寄り添える力があるからこそ子育てができるし、身近な存在をかえりみないことで、外に繰り出し、金を稼いでくることができるのかもしれない。理解できない他者性を持っているからこそ、お互いが必要なのかもしれない。

 

だとしたら、人間の本性(というか動物としての本性)と、共働きが求められる今の世の中って、めちゃくちゃ噛み合わないじゃないか、、、

みんな、動物本来の生き方に立ち返ろうよ、、、

なんて壮大だけど薄っぺらなことを考えてしまった。

働きたくないからこの理屈を突き詰めて、玉の輿にのってやろうかという邪な考えをよぎらせてしまったわ。あかんあかん。

 

 

自分をケアするために、言語化を何日間も続けている。何度も彼に手紙を書き、これまでに3通書いたけど、どれかを送る勇気もないし、書いた内容も納得できていない。

 

さっさと自分の納得できる感情を掘り当てることができればなぁ。

でもよく考えて見ると、言語化には、感情の全てを表現するという機能はそもそもないと思われる。

 

さっきも言ったが、言語には一定の定義がある。定義があるということは限界があるということだ。だから言語化することは、感情と一定の距離をとって、妥協するということなのだ。

全ての感情に向き合っていては前に進めないから、感情の一部を選び取り、理屈を構築し、それを糧として前に進むことが言語化なのだろう。

 

 

 

彼と付き合うなかで、できないことがたくさんあったな。

彼のアドバイスに素直に耳を貸せないことがあった。

耳を貸せないし、彼のアドバイスが的外れだと思うこともあった。的外れだと思いたかったのかもしれないが。

 

私がいかに頑固で、彼がいかに俺様野郎かを伝えるエピソードを話そう。

 

よく就活の軸を決めろっていうじゃないですか。でもあれ、決めきれなくてもいいと思うのですよ。軸ってすごい情緒的な理由を求められるじゃないですか。

こんなことを頑張ってきて、こんなときに頑張れて、だからこういう仕事がしたいです!!!という。

 

でも大事なのは、譲れない条件じゃないかしらと思って。私は重度のアレルギーとヘルニア持ちなので、過度な運動をしなくてよいこと、オフィスが綺麗であることが何よりも大事なのです。

で、そのことを伝えたのです。そう思い至った背景までは面倒くさいから伝えず、決めたわ〜ってくらいのノリで。

 

まあそしたら彼ったら、「全然軸定まってないじゃん」と言い、諭すモードに入るわけですよ。

私は現状報告しただけなのに、なぜかアドバイスされ、自分の歩調ではまだ進みきれていない軸の設定にまで話が及ぶ。

 

しかも条件についても、批判的な意見まで言ってくる。

批判的は否定的とは意味が違う。こういう風にも考えられるよ、というふうに別の視点を提示することなのです。だから、彼は、私の進むという道を妨害しようとしたわけじゃない。

でも、決めたことに、いちいち云々言われちゃあ、何も始められないのです。とりあえずスタートを切らせてほしいのに、なんで重箱の隅を突くようなことを言うのだろう。

 

なんか言われてもとりあえず、勝手にスタートする強さが私になかったのはいうまでもないですが。

 

一連の考えが頭を駆け巡り、私は彼のアドバイスに対してしばらく無反応なまま、フリーズしてしまいました。彼はそれも気に入らなかったようです。「アドバイスしてあげてるのだから、何か反応しろ」と怒られたのでした。

 

独善的な態度に腹が立ったのもあるし、決めたことに対して、新しい視点投入してくんなよと拒否反応が出たのもあり、「私の歩調を無視したアドバイスは、むしろ自己陶酔ですよね。俺は世界を知っているぜという無意識のアピールですよね」と、相手を否定するモードに入ったのです。

 

軸は、いずれ考えなきゃいけなかったことなので、「歩調合わせろや」なんて悠長なことを言っていてはダメだったのかもしれない。

歩みが遅すぎると思う相手には、多少急かすことも必要だという意見もあるのでしょう。

それでも私は、彼が教育者のようにふるまうことに耐えられませんでした。

 

 

金髪ボブがかわいいDreamのAmiさんっているじゃないですか。

その方が最近、テラスハウスに出演されていた半田悠人さんと結婚されたらしい。

結婚に際して出したコメントで、Amiさんは半田さんを「とんちんかんなことを言う」自分を導いてくれる「先生みたいな人」と言っていたのですよ。

 

はぁぁぁ、と思いました。疑問符ではなく、感嘆符です。

こんなふうに言える人っているんだなぁと。

自分にはない他者受容スキルに圧倒されましたよね。

 

私は他人の意見を聞きながら、自分の決めたことを進行させていくという器用さがない。

自覚しつつも、「私って器用にできないなぁ、困るなぁ」と割と呑気に構えていたのです。

でも不器用という欠点が、他人を受容する隙間のない人間だっていうことを意味していることに、彼と付き合ってから気づいたんですよね。

それが本当にしんどかったです。

 

 

お恥ずかしい話ですが、25歳にもなって、母にたくさん話を聞いてもらいました。母のおそろしいところは、私がちょうど不調だなっってときに電話をくれるんですよね。とんでもないエスパー具合ですよね。

 

失ったものにこだわらず、今支えになってくれる人にきちんと言葉を尽くせる人間になりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

好きなものに一貫性がない

わたしの部屋はテーマが混在している。

ベッド周辺はキリムのクッションカバーなど自然素材がメインで、遊牧民的感性が爆発しているのに、本棚周辺はインスタっぽい。

インスタっぽいってなんやねんという感じだが、あえていうなら、IKEAのような。背景と物のコントラストが強い。

本棚のだいたい対角線上にあるもう一つの棚には、型染めの布を敷いて、その上に赤べこや流し釉ので仕立てられた小さな壺を置いてる。

ここだけ見れば完全に日本民藝館日本民藝館だと自己評価高すぎる気がするので、地方の民芸茶屋くらいにしておこう。

好きなものをぼちぼちと買い揃えていったら、こんなことになった。ちなみにわたしはKPOPも好きで、最近の一押しはITZY。

普通って大事

 

 

業務スーパーでココナッツアーモンドミルクなるものをゲット。

冷凍のあさりも大量に買ったので、シーフードココナッツ(アーモンド)ミルクカレーを作った。

 

野菜は玉ねぎとじゃがいも。エスニック料理だから隠し味でもなんでもないけどナンプラーなんかを入れて。

少し小洒落た食材のセレクトにうきうきしたりして。

 

 

変わり種のごはんつくったときあるあるだけど、

微妙な味でも、おいしいって自分に思い込ませちゃう。

 

普通のごはんを普通につくりこなすことの尊さを理解していながらも、

奇をてらってしまった自分を正当化するため、物足りなさに目を瞑るのであった。

 

 

 

 

 

相手が知りたくないことは話さない

さっきまで気絶したように寝ていた。

快適なネット環境を求めて、学校で徹夜してESを仕上げたので、体を修復する必要があったみたいだ。

今回書いたESの質問項目はたった一つで、学生時代の取り組みを聞くものだったんだけど、それに何時間も頭を悩ませてしまった。

わたしは大学での研究を、学生時代最も力を入れたものとして書いた。

質問の意図を捉えちがえると、やったことについてだけ書いてしまう。

研究はとても手探りなもの。とくに人文系はそう。

それをごまかそうとして、かたちあるものに見せようとすると、専門用語のオンパレードになる。

書きながら、上のようなドツボに何度もハマり、ああこれじゃあ、自分をよく見せたいだけだなと反省しては書き直す、この繰り返し。

わたしだったら、何が知りたくて、あなたはどんなことを頑張ってきたの?って問うだろう。

仮に今、わたしは結婚適齢期の女だとして。この問いに何を期待するか。

「〇〇さんは何に1番時間を使ってますか??」

相手は「草野球です」と返答。

ふむ、わたしは野球に全く興味がないけど、休日は河原で素振りをする(とは言っていない)活発な青年なのだな。

捉え方によっては「健康な肉体で子作りも安心」

「草野球なんて貧乏くさいわ。ステータスにならない」などなど、あるだろう。

相手はどんなキャラか、相手のやってることが自分の利益につながるか、なんとなく知ることができる。

ただ、まだ、野球に無関心なわたしに相手の魅力は届いていない。

しかしここで、なぜ草野球が好きなのか、野球のどこが魅力的かをプレゼンしてきた。

熱狂する相手。

このとき専門用語が多いと、ただただ引く。

わたしにもわかるようにスマートに話してほしい。

わかる言葉で説明してくれるからこそ、相手が考える野球のおもしろポイントに共感できる。

次第に、相手と野球の縁について話が及ぶ。

少年時代にはじめた野球。高校のときに怪我をしてなくなく一線を退いた。

でも社会人になってから周りの勧めで再開。

そんなエピソードを聞いたら、周囲に恵まれてる人だと想像できるし、辛い思い出に蓋をせず一緒に生きていける素敵な人だと思える。

草野球でどんな実績があるのかは、わたしはどうでもいい。

むしろ成績のことばかり話されると、下心丸見えで引いちゃう。

だから、取り組んだ内容のすごみは、あんまり重要ではないのかも。少なくともわたしはそう思う。

近い感性を持っていたら、それで十分。

まとめると

・取り組んでることから、おおよそのキャラクターを知りたい。

・会社の利益につながるスキルを持っているか知りたい。

・虚栄心に基づいたエピソードは聞きたくない。

×成績オンリー、専門用語を並べる

・困難を乗り越えられる爽やかさ、あるいは泥臭さがあるかを知りたい。

こんなところではないだろうか。相手が何を知りたいかだけでなく、何を聞きたくないのかを見極めるのが大切だなと思った。

ありがたい存在

 

 

これから本格的に就活がはじまる。

 

今日先生から、「宝箱のなかをみるような気持ちで望めばいいよ」と、素敵な言葉をもらった。

 

たしかに。

就活はわたしと企業の相性を確かめ合うものだから、

面接でお話ししてみないとわからないことも多いし、

本質的なことは、入社してみなきゃわからないと思う。

 

未知だからこそ、おもしろがろう。

期待じゃなくて、おもしろがる。

 

あさりのないクラムチャウダー

 

ニンニク、ローリエ、鰹出汁、オイスタソース、牛乳、塩でクラムチャウダー風味のスープができると気がついた。

 

買い物に行けてなくて、具材はなし。パセリが切れてたからローリエでなんとなくハーブの風味を足した。

 

ポイントは、湯葉みたいなやつができないよう、弱中火で混ぜつづけること。

 

小麦粉を使わなくても、じっくりまわせばとろみもつく。

 

細かく切った玉ねぎ、じゃがいも、あさりは妄想で補いました。

 

 

海鮮高くてなかなか買えないし、

あさりがなくてもできるクラムチャウダー

なかなか嬉しい発見。