すね毛に心を乱される
昨日は研究の展望が開けそうで、だが開こうとはせず、開けるだろうと確信したところでパソコンを打つ手を止めた。
そして帰って食事を2回。どうしても朝昼の食事をスキップしてしまうので、夜にこれでもかと食べることになる。それが災いしてか(急激な血糖値の上昇、そして下降)、ひどい眠気に襲われ、いつのまにか寝ていた。
歯磨きもせず化粧も落とさず、起きたときの気分は最悪。肌荒れもひどく外に出る気分ではなくなり、今日は家のことをした。
たまりにたまった洗濯物。つもりにつもった埃。
伸び切った爪とすね毛。
耐えきれずミュゼに予約を入れた。
明日こそは研究をと思っていたのだが、心が乱されるほどすね毛が濃くなっているのでしょうがない。
隣の女
なんの制約もない関係なのに
勝手に相手の歩みに合わせて、がんじがらめになったふりして
不満をもらす自分
相手の人生を支えた気になってる自分
そうやって存在意義を確かめようとする自分
すべて醜い
同じように語る女、そこにもう一人のわたしがいた
ああ、わたしはこんなふうに醜いのか
今日のプレイリスト(気づけばラップ)
リンパがパンパンで首が回らない(酒)
好きな人に特別扱いされたい、ああ、わたしも乙女だったのですね。
色鉛筆
小さい頃、薬箱くらいの大きさの色鉛筆が入れがあって、それを使ってお絵描きするのが好きだった。
家の敷地内に父の事務所があったので、そこで不要になった裏紙を大量にもらってお絵描きをする。たまにお絵描きした紙をかばんのように成形して、両親にプレゼントしていた。
それがわたしにとって当たり前の日常だったんだけど、あれだけの色鉛筆がある家って、そうそうないのではないだろうか。
大学になって無印の36色の色鉛筆を買ったが、36色あっても小さい筒に収まっているから、うちにあった色鉛筆は100近かったんじゃないかと推察される。
それだけ、いろんな色に出会うことができたんだと思う。よく思い返せば、わたしは色に対してかなりこだわっていた。紫でも青が強い紫は嫌いで、赤紫が大好きなんだということを保育園の帰りの車のなかで母親に熱弁していた。
水は水色じゃないのに、なぜ水色は水色と呼ぶのか。わたしが今日保育園ではいったプールは水色じゃなかった。ホースから出てくる水もどちらかといえばネズミ色、銀色に近く見えるんだよなぁと、疑問に思っていた記憶もある(曇天だったのだろう、のちに青色はものに固有なものではなくて、現象として現れる色なのだと知った)。
父親は子育ては母親に一任という感じで、仕事から帰ってきていつもテレビばかり見ている人、という印象だったが
あれだけの色鉛筆をそろえてくれて、わたしがしつこく職場に裏紙をもらいに行っても嫌がらないでくれて、案外いいお父さんだったのかもしれない、と思った。